少し遅くなりましたが、3月1日、いよいよ自分にとって大きな節目となる50歳を迎える事ができました。本当に多くの方々からメッセージを頂き、また美味しい物から、この先大事に使っていきたい物まで色々プレゼントして頂き、感謝しております。
この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。本当に有り難う御座いました。わざわざ、自分の為に、時間を割いてくれた事に感謝で、そういった気持ちは歳がいけばいく程、嬉しいもんです。その気持ち、大事にさせて頂きますね。
そして、いよいよ自分も50歳になった訳ですが、冒頭でも書いたとおり、自分の中では大きな節目になります。45歳ぐらいから、50歳以降について常に意識するようになっており、自分自答する日々が続いておりました。
そんな大き節目となる船長の50歳ですが、ここで自分の中でも書き留めておきたい気持ちも有るので、少し自分の根幹となる部分を書いてみたいと思います。
なので、ここから先は、今の自分が作られた根幹に近い部分なので、釣りとは全く関係が無い話になるので、人に興味が有る方だけ、読み進めて貰えればと思います。
自分の人生を改めて振り返ると、まさに雑草。これはよく嫁さんに言われる事ですが、自分でもそう思っております。人を魅了する大きな花は咲かせる事はできませんが、存在し続ける。ただ、それだけはブレずに、真に生きるだけ。
しかし、嫁さんが言うには、雑草も実は小さな花を咲かせるようで、目立たないらしい。それ、「極小の花、まさに俺やな〜!!」といつも夫婦で笑っております。
以前、このブログでも書いた事ですが、自分は心底では新艇のバスボートを乗り回し、趣味を謳歌できるタイプの人間ではないと思っております。
と言うのも、小学校3年の時に母親が脳卒中で倒れてから、自分にとって普通の家庭とは程遠い存在となりました。父親とは離婚し、自分と妹は母親方の祖父母に引き取られ、脳障害と右半身不全の後遺障害が残った母親とその祖父母との生活が始まりました。
一戸建ての家で自分の部屋があった生活から、4畳半二間で家族5人が生活。それまでの生活とは一変、まさに何とか食べるのみという生活です
まずは、母親の後遺症は強く、自分達を子供と認識するまでに約1年以上掛かり、その後も、色々大変でした。
障害を負った母親と2人の孫を育てる為に、これから少しゆっくりしようと思っていた祖父母は再び、朝から晩まで必死になって働く日々。時に、近所の民生委員さんが来て「国の世話になったらいいよ」とアドバイスをくれてました。
しかしそれに対して爺さんは「わしは砂食べても、この孫を育てるから、国の世話にならん」と断ってました。その時、自分は小学校3年、その意味があまり解って無いにも関わらず、何故か、今でもその言葉が脳裏に焼きついている。
今の時代から言えば、それも権利なので、素直に受ければ良いと思うが、今から40年前の時代。さらに、裸一貫で、四国の田舎から出てきた祖父母、何も身寄りがない京都の地で、生きてきた故に何か意地があっと思う。今、自分はこの年齢になって、その意地は理解できる。
ちなみに、40年前の時代は今と全く異なり。片親の家庭はやはり色々言われる訳です。自分の場合、片親と言っても、その母親も障害の身だったので、言い方は語弊があるかもしれないが、表向きは親が居ないのと同じでした。
また、参観日、運動会、家庭訪問も全て祖母が立ち会う訳で、やはり周りとは違う訳です。「友人から、おまえとはあまり付き合うな!!と親から言われている」と聞いた時は流石にショックで、「親の状態は、俺が悪いのと違うのに」と思いました。
しかし、その付き合うな!!と言った親の気持ちも、今、親となった自分としては、正直100%とは行かないまでも理解できる。それぐらい子供にとって家庭環境は大事だと言う事です。
と言う事で、今回はここまでにしておきます。次はこの環境から、どのように釣りが関わってくのかも書いてみますね!!
おそらく琵琶湖ガイドで一番、スケジュールをUPするのが遅い船長琵琶湖ガイドですが、昨日、やっと4月後半までを公開させて頂きました。
予定では、例年とは比較にならないイベント数をこなす予定で動いておりましたが、春は全てキャンセルになったので、4月は殆どガイド可能となった次第です。
もし、これからご予定を組まれる方は、是非遊びに来て貰えればと思います。船長琵琶湖ガイド、3〜4月末までのご予約を承り中です。リブレに直接電話。( 077-573-5656 ) またはリブレWEB予約フォームからお申し込み下さい。