日別アーカイブ: 2017年10月21日

琵琶湖を眺めながら最後の別れ。

今日の朝一番に掲載したこの写真は、志賀町の火葬場から琵琶湖を見渡した写真。もうお解りの方も多いと思いますが、今日は家族全員でプーマの火葬に来ておりました。これでやっと報告する気になれた次第です。

この骨壺に入って一緒に大好きな家に帰ってきました。しかし、この志賀町の火葬場は5~6年前に嫁さんのお父さんが亡くなった時に利用させて頂きましたが、まさかペットも同じ場所を利用するとは知りませんでした。

病気になってから、また自分ではもうろくに立てなくなってからも、玄関で、家族が帰ってくるのを待つのが好きで、ここでよく寝ていました。

今から8年前、下の息子が小学校2年生で、学童保育を行くのを止める事になり、一人で留守をする鍵っ子になる事になりました。

そこで、嫁さんと相談して、暗い家に一人で帰ってきた時、せめて誰かが居た方が良い、また親が帰ってくるまで、寂しくないようにと、犬を飼う事になり、家族になったのがプーマでした。

そして、息子にとってはまさに弟的な存在となり、本当に仲良く留守をしてくれ、親にとっても、本当に助かりました。

しかし、不思議なもので、最初は子供達の為でしたが、自分も嫁さんも、どれだけ癒されたか計り知れません。家族全員が一人一人、一日のどこかで自然とプーマとの会話を楽しみ、また帰宅した時、まず玄関で出迎えてくれる、その愛らしさが、家に帰った時の楽しみとなりました。

しかし、昨年の秋頃から少し体調がよくない時が出てきて、今年の春には検査入院。そして、病名と治療の方向性が出ましたが、良くて現状維持。何もしなければ、数か月持つかどうかの残酷なものでした。

そこから、徹底した低脂肪の食事の管理と投薬。毎食、ささ身のボイルやキモを用意。それを、苦手な薬を飲ましながらなので、毎食時間を要します。

さらに日に日に筋肉も低下するので、排せつ物も散歩だけでは無理で、夜もリビングで一緒に寝て、排せつをしたくなると、庭に出してやる感じでした。

さらに、10日ごとに注射に行く通院。運転中に、何かが有れば危険なので、できるだけ自分と嫁さんが一緒に行っておりました。

そんな生活が春から続いていましたが、5日前に容体が急変。そこで、お医者さんから「もう好きなものを食べさせてあげて下さい」というお言葉。

その時、ブログにも書きましたが、頭をなでながら「もうええ~、頑張らなくてもええ~」「もうええ~辛かったな~!!」「プーマ、すまん」

治らないのに、色んな注射を打ち、美味しくもない薬を与え、プーマにとっては過酷な治療を選択した自分のエゴを一瞬攻めました。

こんなに早く最後が来る事が解っていたなら、もっと美味しいものをやれば良かったと、嫁さんは何回も顔を摺り寄せて泣いていました。

そして、本日の夕方、今までと同じく、好きな玄関で家族を出迎えれるように、プーマの棚を作り、とりあえずはそこに骨壺を置けるようにしました。

こうやって自分なりに色々やっている事で、少しずつ家族全員が前向きになってきたのを肌身で感じる貴重な一日でした。

生まれた瞬間から死に向かっている事実、それは皆知っている。しかし、どこかで遠い未来の事としてとらえ、現実味が帯びない、また帯びさせない。

しかし、人間よりはるかに短い生涯を持つペットの死を身近に体験する事で、改めて、死を意識する。特に子供達にとっては、生後4か月の赤ちゃんの時に家に来たプーマが、骨になるまでを体験、彼の生涯を身近に見届けた訳です。

これは本当に凄い事だとつくづく思う。生きてるという事は、当たり前では無い事を感じただろう。まさに生きてるだけで素晴らしい事を。そして、自分達、親も改めて、その事を再確認できました。

それも全てプーマのお陰。どれだけ、その存在が家族皆の会話を育んだことか!!一緒に過ごせて本当に良かったと家族全員が思っている。

簡単ではないが、今日という日を一つの区切りにして、生きている事を実感して明日を迎えていきたいと思います。

釣りがメインの自分のブログで、ペットの死という、しんみりする話を書くべきかどうか、悩みましたが、自分の中でも踏ん切りをつけたかったので、書いてみました。

今回は、釣りとは全く関係ない話となりましたが、最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。琵琶湖のおっさん、明日からも頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。

20年振りに購入

20年振りに眼鏡を購入。車だけなら、まだいけるが、夜間の雨、さらにフルサイズのトレーラーを牽引するとなると、注意力が半端ないので、一応購入してみた。

しかし、購入して、びっくり。最初はフレームだけの値段かと思いましたが、レンズ込み。安くなりましたね。