Basserを読むのは、釣りの背景に人間くさいところが表現されているところ

20年以上にもわたって読み続けている雑誌は、いまとなってはBasserのみ。そしてその年月となると流石に凄い量で、今年は決断して、リブレに寄贈。アングラーズルームに置いて、宿泊者が読めるようにしました。

しかし、昨晩、少し空いた時間で掃除をしていると、まだ残りが出てきたので、またリブレに持っていこうと思います。

しかし、この10年以上に限っては、読む記事も殆どアメリカの時期のみ。それ以外は、余程のことがない限り見ないようになった。

自分たちがこのバス釣りの夢中になったのは、先にアメリカがあったから。常に意識して釣りをしていたように思う。国内にバス関連の本が少なかったので、アメリカからバスマスターを購買して、辞書を調べて、読んだ日々。

おかげで高校生の時の英語テストはかなり良く、それは受験でも助かった。

自分においては、このBasserを唯一読むのは、釣りの背景に人間くさいところが表現されているところ。人それぞれ、取り組み方があり、そこには必ずドラマがある。

Basserはそこを興味がそそられるように書いてあり、自分はそこに興味をもったから、今も自然と目を通す。

要は、釣り方もさることながら、そのアングラー自身やそのストーリに興味を持つ感じ。歳いけば行くほど、そうなってくるもの。

昔、バスマスタークラシックを観戦に行き、ESPNの混ざって取材陣の中に入ってカメラを回した時があった。そして眼の前のステージで、ケビンバンダムが優勝、5千マンを獲得した瞬間、シャッターを押し続けたのは、今でも鮮明に覚えている。

まさに感動の一言でした。しかし、このバスマスタークラシックを1ヶ月間密着する事で、超リアルな現実にも触れることができ、ある意味自分の中で、線が引けた感じでした。

この1ヶ月間は本当に有意義だったと今でも思う。輝かしい1%の舞台の裏に99%の地味で過酷な世界がある訳で、これはどこの世界でも同じ。アスリートとしてやっていくなら当たり前の話。

しかし、そんなストーリーに心躍らさせる50過ぎのおじさんです。