昨夜から降り始めた雪ですが、意外に積もらず、道路には全く無い状態です。雨が降ろうが、雪が積もろうが、今の日課は、毎朝、フウマと庭で少し遊んだ後は、1時間のお散歩。
フウマにとっては、この散歩が楽しみで楽しみで、「早く行こうよ?行こうよ」と誘ってくるので、自然と日課になってしまうもの。
ほぼ毎日、1時間のウォーキングとなっており、自分的にも本当に健康的だと思うし、実際、身体の調子も良い。
確かに、運動量で言えば大したことはないと思うが、自分の中において、犬の散歩とウォーキングの圧倒的な違いは、継続率。さらに幸せホルモンの分泌にように感じている。
今までウォーキングは続いた事がないが、犬の散歩は、毎日、可愛い仕草で求められるので、どんな状況でも行く事になる。
さらに、一人で歩くのと、犬の散歩では、幸せホルモンと言われるセロトニンの分泌量が2倍近く変わるという研究結果もあるようで、やはり効果は有ると実際感じている。
さらにさらに言えば、我が家で言うと、基本、嫁さんと一緒にいくので、1時間の会話が成立する。これは銀婚式(結婚後25年)を終えた夫婦においては、貴重な時間だと思っている。
たかが犬の散歩と侮ってはいけないと、最近は強く思う。人生面白いもので、流石に50歳を超えると、自分の能力や今からできる事が見えてくる。その範囲で何かやりたいと思うなら、本当に今がラストだとつくづく思っている。
そんな事をリアルに考えると、今まで少し置き去りにしていた事柄の重要性を強く意識する事になる訳で、一番はやはり健康、これは間違いない。
健康に関しては、有る程度は運命めいたものもあるが、リスク回避はできるだけ意識して取り組んでいくべき。
そこで、さらに重要なのが、自分だけでは意味が無いという事。その意識は最低でも夫婦間で意識する必要が有る。自分が倒れても、嫁さんが倒れても、介護の問題が出てきて、お互い好きな事ができない訳で、今から本当に重要。
毎日、夫婦で犬の散歩。これって、若い人達から見たら、特に凄いと思える事でもなく、夢に思える事ではないだろう。自分もそうだった。
でもね。これって何か一つ崩れたらできない事なんです、実は。夫婦が、お互い健康で、かつ一緒に散歩できる関係を維持する必要がある訳で、これは未来永劫約束されたものでは無い。
だからこそ、今の状態に感謝し、継続できるように意識し、行動する必要が有ると、自分は思っている。自分もそうだったように、人は失って、または失いかけてはじめて、その意味や本質を知る事になる。
自分が何かやりたいと思った時、家族の犠牲に成り立つものではあってはならない。これは世帯主としての責任かな?